【宣言】SORAとSUNOとMidjourney、AI表現1000本ノック

最近、SORAやSUNO、Midjourneyといった生成AIツールに触れる中で、ふと考えるようになりました。

「もっと自然に、こういうものを作りたい」「こんなイメージを形にしたい」——そんな発想が自分の中から自然と湧き出てくるようになりたい、と。

とはいえ現実は、白紙のキャンバスを渡されて「自由に描いてください」と言われたときの戸惑いに近いものがあります。

具体的に表現したいものがあっても、うまく言語化できずに、もどかしさを感じることもしばしばです。

テキストを起点に、静止画や映像、音楽といった表現へと変換していくプロセス。

その中で、自分の中の「なんとなく」を少しずつ言語化し、形にしていく練習をしているような感覚があります。

けれど、アウトプットがどんなに多様でも、その始まりはいつも“テキスト”というプロンプト。

まだその入口にうまく慣れず、言葉に詰まる自分がいるのも、また正直なところです。

そこで私は、「AI表現1000本ノック」と題して、試行と記録を積み重ねていくことにしました。

1000本ノックの目的とルール

目的は“習得”ではなく“感覚を育てる”こと。

SORA・SUNO・Midjourneyを使っていくうちに感じたのは、どれも一見「結果」を出力してくれるツールに見えて、実は“言葉と思考の訓練機”でもあるということです。

どんな言葉を使えば、どんな表現につながるのか。

逆に、うまく伝わらなかったとき、何が足りなかったのか。

そうした試行の繰り返しが、自分の中の「表現の回路」を少しずつ育ててくれるような気がしています。

だからこそ、数をこなしたい。

100回でも、500回でもなく、「1000本」とあえて宣言することで、質よりもまず“量”を積み上げることを大事にしたいと思いました。

ルールはとてもシンプルです:

  • 毎日◯本、1日でも週単位でもOK
  • 1ツールだけでも、3つ組み合わせてもよい
  • 記録はブログで、最低「1文+1作」残すだけ

形式も表現も自由ですが、大事なのは「回すこと」と「残すこと」。

うまくできた/できなかったにかかわらず、積み重ねたプロンプトとアウトプットが、きっと後から自分を助けてくれるはずです。(と信じて)

なぜ「1000本」なのか? 習得ではなく“身体化”を目指す


目指しているのは、知識としての習得ではなく、感覚としての身体化です。

AIツールは便利であると同時に、ある種の“翻訳機”のようなものでもあります。

頭の中のぼんやりしたイメージを、言葉にし、形にし、音にする——その変換精度を高めるには、やはり数が必要だと感じています。

たとえばMidjourneyであれば、「こういう雰囲気にしたい」をプロンプトで表現するには、質感・スタイル・構図といった曖昧なものを、ひとつひとつ言語化する必要があります。

SUNOやSORAも同じく、「どんな感情」「どんなリズム」「どんな展開」にしたいのかを言葉にしないと、狙った出力にはなりません。

これらは単なるコツではなく、繰り返しによって少しずつ身についていく感覚だと思っています。

まるで手書きのスケッチや、楽器の基礎練習のように。

だから私は、「習得」ではなく「身体化」という言葉を選びました。

1000という数字はあくまで区切り。

自分の感覚が少しずつ馴染んでいく、その過程を大切にしていきたいと思っています。

途中でやめないための工夫と、Midjourneyとの向き合い方

1000という数字は遠く感じるかもしれませんが、大切なのは「続けられる形」を自分なりに見つけることです。

最初から完璧を目指さない。むしろ、失敗こそがこのノックの“成果”だと割り切ることが、続けるための一番のコツだと感じています。

たとえばMidjourneyなら、1日3カットだけでもよい。

時間がない日は1枚だけでも、そこに「今日はこれを試してみた」「うまくいかなかったけど、このフレーズは気に入ってる」といった短いメモを添えるだけで、試行の記録になります。

プロンプトを書くという行為は、単なる命令文ではなく、自分の内側にある“曖昧な像”を言葉で照らす作業でもあります。

だからこそ、うまくいかなかったプロンプトにも意味がある。

それらはあとから見返したときに、「どこがズレていたのか」「今ならどう書くか」と考えるきっかけになり、自分だけの資産になっていきます。

「作品をつくる」のではなく、「習作を重ねる」。

そんな姿勢で取り組むことが、このノックを続けるいちばんの原動力になるはずです。

つくって、つかむ。アウトプットを超えて

表現とは、何かを“出す”ことでもあり、同時に“掘る”ことでもある。

SORA、SUNO、MidjourneyというAIツールたちは、そのどちらにも寄り添ってくれる存在だと感じています。

もちろん、AIが出してくれる結果に感動することもあります。

でも、それ以上に「どんな言葉を選ぶか」「どう修正するか」「なぜこの表現に惹かれたのか」——そうしたやりとりの積み重ねが、いつしか自分の中の“翻訳精度”を育ててくれる。

この1000本ノックは、そんなやりとりを繰り返すための、小さな装置です。

アウトプットのためだけでなく、自分の中にある曖昧なイメージや感情を、少しずつ輪郭のあるものへと変えていく訓練として。

目指すのは、特別なスタイルではなく、自分にとって自然な表現のかたち。

その点を、1000回打ちながら見つけていこうと思っています。